なにものでもないわたしへ

「なにもの」でもないわたしを好きになるためにできることを考える

双極性感情障害のわたし達が子育てで大切にしたいたった1つのこと

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わたしは双極性感情障害と診断されて、約5年ほどたった。

診断された当時、息子は1歳になる前。結婚当初にも精神科への通院歴があったため、うつ病か以前診断された慢性疲労症候群かと思っていた。

いつか息子に手をあげてしまうのではないか。
家族を崩壊させてしまうのではないか。

そんな日々に怯えながら、何とか近隣の病院へ予約を入れた。そこでついた病名が「双極性感情障害」だった。何の病気?そう思った。

双極性感情障害とは?

双極性感情障害とは躁と鬱の波が交互にきてしまう病気で再発率も高いそうだ。

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里帰り・お産煩いなしの子育て

わたしは両親と離れた土地に住んでいたのだが里帰り出産はせず、お産煩いも断った(正確にはきて欲しかったのだが、義母もお産煩いに来るといいだし、それは気を使うため両方断った)。そのため、最初から子育てについて夫と2人で協力し、乗り越えてきた。里帰り出産をしなかったことで、結果的に夫との協力関係が深まったため、これはこれで正解だったと思う。しかし、正直、最初から夫以外の人を頼るという選択肢がなかったため、子育てについて人に頼る方法がわからなかった。

日中は夫も仕事があるため、息子とほぼ2人きり。

夫以外の大人と話すこともなく、1日が終わることもしばしばだった。たとえ話したとしても息子関係の出会いのため「○○くんのお母さん」と名前が呼ばれることはなくなった。話題も息子関係の話ばかりだった。

発狂。そして家庭崩壊寸前

そんな日々が続き、ついにわたしは発狂した。

夫の勤務が終わるまで職場の前で待っていたり、帰りが遅いと夫の帰宅前に息子を連れて車を走らせ行方不明になったり、真夜中、部屋中埋まるくらいの新聞を破り続けていたり。

冷静な判断など、できるはずもないくらい追い詰められていた。この時、夫はストレスから180cm近く身長があるにも関わらず、体重が50kgを切っていた。

いつ家庭崩壊してもおかしくなかった。

人に頼ることは愛情が増えること

最終的に、近隣の保育園は1年後も入園できるかわからない。認可外保育園も近くにないということで保育園に唯一空きがあるエリアへ引っ越し、息子の保育園入園が決まった。

登園初日。
わたしは担任の先生の前で号泣した。

ホッとした気持ちと同時に息子に対しての罪悪感が勢いよく押し寄せてきたからだ。

わたし自身、幼稚園に通っていたため、3歳までは自宅で、と漠然と考えていた。それが、仕事を始めたわけでもないのに息子を保育園に預けなければならない。母親失格だ。と自分を責めた。当時のわたしは、保育園に預ける=可哀想な事をしている、と思っていたからだ。

しかし、1ヶ月もするとその罪悪感は嘘のように消え去った。息子の笑顔が格段に増えたからだ。

保育園に行くまでは愛情を注いていたのはわたしと夫だけだった(当時、両親・義両親とは一切の連絡を絶っていたため)。しかし、登園し、先生達からたくさんの愛情を注いでもらい、お友達やお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶ事で、息子はたくさんの愛で溢れていったのだと思う。

人を信じ、頼ること

愛はたくさんの人から受け取れる。
息子の所属する場所が増えるということは、それだけ愛情を注いでくれる人が増えるということだ。先生方はわたし達親子の命の恩人だ。

わたし達、双極性感情障害の人は感情の波が激しい。時には自分自身のことでいっぱいいっぱいで、思ったように子どもにへ情を注げない時だってある。そして罪悪感に襲われ鬱が悪化し、負のスパイラルに陥る。

だからこそ、わたし達が落ち込んでいる時にも子ども達へ愛情を注いでくれる人を増やしていく必要がある

そのためにわたし達ができること。
「人を信じ、頼ること」ではないだろうか。

愛情をかけられるのは父親母親だけじゃない。子ども達は子どもに関わる全ての人から愛情を受け取ることができる。しかし、わたし達が他の人を信じ、頼る事をしなければ、他の人は子ども達に愛情を注いでくれることはあるだろうか。いや、ない。

誰か助けて。
誰か気づいて。

そう思ったことがあった。
言えなかった自分がいた。

しかし、本当に助けて欲しいのなら、最初の一歩はやはり、自分で踏み出さないといけないのではないだろうか

その最初の一歩が「人を信じ、頼ること」だとわたしは考える。
そして、双極性感情障害のわたし達が子育てで大切にしたいたった1つのことではないだろうか。

©️ 2019 mari